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『深海魚』

七雨七虹 作  


1


 〈登場人物〉
 男
 女
 
 〈装置〉
 マリンスノーが降っている。
 舞台の上には、白く柔らかな堆積物。
 一尾のチョウチンアンコウの大型の骨格が散在し、傾いている。
 
     第1幕

 女、舞台上部からゆっくりと下降。長い髪、ドレスの裾をうえに伸ばし、目を閉じて、横たわる。
 男、棒状の先端に光源のついたヘッドギアをかぶり、舞台中央で、ひとり立っている。

     闇

 男(モノローグ。光源は、額から伸びた光のみ)
 ようこそ、おいでくださいました。
 わたしの姿がみえますか?
 そうですか。わたしの声、聞こえますか?
 良かった。では、わたしの匂いはどうでしょう。
 ああ、残念。
 ここでは、なにより大切なのに。
 
         ※
 
 あなたは光の国から、ここ闇の世界へと、芝居を観るためにだけ、わざわざ降りてこられたわけだけれども。それにしても、よくご無事でしたね。
 他人事のようにいうけれども。
 途中、獰猛な怪獣に食べられることもなく。
 生きてここへ、たどりつかれた。
 そもそも、深さだって大変なものです。
 水圧のこと。
 日本の太平洋沖合とはいえ、マリアナ海溝、それもチャレンジャー海淵。世界一の水深、19029メートルありますよ。
 富士山の三倍。
 日本列島に寄り添うかたちで、長さは2550キロ。
 長いでしょ。
 幅は、平均100キロ。
 とんでもない地球の裂目です。
 わたしの選んだ、深海底。
 お気に入りの、暗黒世界。
 そんな場所に、いま、あなたはいるんだ。
 けっして安くはない、芝居のチケットを買ってね。
 
         ※
 
「深海魚をテーマにした、一人芝居を舞台化したい」
 そういってきたのは、たった四人だけの演劇プロジェクトのメンバー、役者の宇津木だった。
 宇津木は、舞台はもちろん、TVや映画、CMなどで頻繁に顔を出す、名の知れた俳優であったが、元々は、アングラ出身の左翼の論客だ。ペンネームを使って、いまでもときおり、政治批判を発表している。
 美代子夫人も、この四人のメンバーのひとり。
 演出家として某商業劇団で活躍し、また、企画された他の芝居に演出家として参加するなど、成功をおさめていた。
 美代子夫人が招かれ演出した芝居は、すべてが、中高年の富裕層の女性の観客をあてこんだものであったので、都心に建つ相応に立派な劇場で、有名な俳優陣を配し、そうした人々が好みそうな戯曲を、豪華に舞台化していた。
 また、わたしの印象ではなぜか、若き女優の卵のファンも多く「彼女の演出したものなら観にいきたい」という声もよく聞いた。
 ふたり、それぞれに有名ではあったが、業界人以外で、彼らが夫婦であることを知る者は少なかったのではないだろうか。
 ふたりが知り合った場所は、言わずもがな。
 ふたりのあいだには、子どもはいない。
 だが、コンクリート打ちっぱなしの四階建ての豪奢な世田谷の自宅には、ほかにふたり親族が住んでいた。
 ふたりとも、夫人の実の姉で、加えてともに、精神に重篤な病を抱え込んでいた。 (つづく)


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