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人権と差別



まったくもって、差別を必要とする階級や人々がいる。人権を無視し、踏みにじってまでも守ろうとするもののために差別は存在し続けている。様々な理由で差別は守られ、温存され、潜在化し、蔓延している。
「優秀、劣悪」「美醜」「貴賎」「善悪」といったものばかりではない。「場所」「肌の色」「生まれ、家柄」「思想」「宗教」「人と違うから」「感覚、気分」など、ありとあらゆる「差別するための、正しい理由」が存在する。
どんな理由が差別を正当化するのか。
先に差別するだけの前提が先行し、あとから理由をこじつけたものなのか。
まるで人は差別なしには生きていけないかのように、強固に発生、存続される。
差別と向かい合うことは、人間と向かい合うことであり、世界と向かい合うことである。在日外国人・入国管理/国際人権/中国残留孤児/被差別部落/アイヌ・ウタリ/元ハンセン病患者/ジェンダー/売春・児童ポルノ/同性愛者・性同一性障害の人権/受刑者の人権
21世紀は「人権の世紀」ともいわれている。
20世紀は、二度の世界大戦を経験している。
1948年12月10日、国際連合は「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」という世界人権宣言を採択した。

『世界人権宣言(英文)』

1995年から2004年の10年間を「人権教育のための国連10年」と位置づけ、各国に国内行動計画を定めることを求めた。
2005年からは「人権教育のための世界計画」として受け継がれている。
さて、
我が国の「日本国憲法」では「人種・信条・性別・社会的身分・門地などによって差別されない、法の下の平等、思想及び良心の自由、信仰の自由、学問の自由、生存権。教育を受ける権利、勤労の権利など、多くの種類の基本的人権を保障している。
「人権」とは、誰もが生まれながらに持っている、人間が人間らしく生きていくための権利であり、人類の築き上げた財産でもある。

「人間としての存在や尊厳が尊重され、思いやりに満ちた社会」
「あらゆる差別を許さないという人権意識が広く浸透した社会」
「多様性を尊重し、そこから生じるさまざまな違いに寛容な社会」

『日本国憲法』
『日本国憲法(英文)』
大日本帝國憲法

『児童買春・児童ポルノ禁止法』

■日本福祉新聞「児童買春・児童ポルノ禁止法」研究部会

「児童買春」
「児童ポルノ」
「児童の性的虐待」
「児童の商業的性搾取」
「児童の人身売買」
……
児童の「性」を取り巻く環境は、危険にさらされています!
ペドファイルでない人々も、様々な理由で児童の性的搾取を行っています。
「性的搾取者」とは、
「自分と18歳以下の児童との間に存在する、力の不均衡を不平等に利用して、収益または個人的快楽を目的として、児童を性的に利用すること」と定義されています。

・買春によって児童と性関係をもつ者
・売春宿を経営する者
・児童ポルノの製作者
・児童のトラフィッキング(密輸)にかかわる者
など

児童にたいして、商業的性搾取をおこなっている者は、むしろペドファイルはまれで、彼らはただ利益のために児童の性的搾取を行っていて、搾取行為によって、精神的救済や性的満足を得るわけではないとされます。

「性的目的」のために、大人よりも簡単に、安く児童を買うことができるというような状況に置かれた場合、児童の性的搾取を行う人も存在します。

犯罪者は多くの場合、児童が何らかの形で虐待を誘引したと、責任を転嫁したり、大人と性的接触をもっても児童に害は及ばない、と実態とはかけ離れた抗弁をします。

児童にも、性に関す同意能力がある、と主張し、特に、赤ちゃんと性的接触を持った犯罪者の中には、自分は悪くはない、おむつを替えるときに笑ったりして自分に対し虐待を誘発した、または虐待に同意した、と主張する、とんでもない人がいるのも事実です。

虐待や性的搾取のもつ意味と結果を矮小化して、児童が大人との性的接触から利益を得た、と主張したりもします。
こうした自己正当化は、児童の性的搾取を行う者に共通だとされます。

児童を商業的性搾取から守るためには、性的搾取者の行動を導く思考を理解するとともに、搾取行為を否認したり、正当化したり、人間性に基づくものとか、自然なものととらえるような考え方に挑み、これを抑える方法を見出すことが重要であるとも指摘されています。

非商業的な性的虐待を受けた児童は、見知らぬ人ではなく、彼らが知っている大人である場合が多く、特に、両親、保護者、親戚の他、親のような立場で児童に接する大人が大半を占めます。

大人の言い分は、児童が未熟なため、自律的に行動できないからいけない。児童が「大人になる前」の状態で、無能力であり、自己形成されておらず、自らを個人としてとらえることができない、と主張し、自分の価値観に、児童を当てはめようとし、結果、大人の意に添わないと、虐待という形で暴力が発生し、肯定されます。

性的虐待者は、被害児童にお金を与えて、虐待行為は「双方にとって利益を生んだ」と信じこませようとするだけでなく、被害児童はお金を受け取ったのだから、同意が成立し、道徳上は共犯者だと思いこませようとします。

児童の商業的性搾取と買春や性産業は非難を受ける活動であり、通常は闇経済の中で非合法な経済行為として行われます。

ほとんどの国において、主に幼い児童や処女との性行為に特に興味のある人の需要に応えるための買春の闇市場が存在するといわれています。

性的搾取者のすべてのニーズに応えるべく、すべてのタイプの被虐待者が集められ、多くの児童が売春市場のメインストリームに組み込まれています。

児童買春で利益を得る者は、必ずしも児童の商業的性的搾取に特別の興味があるわけではありません。
児童買春を行った客も、単に普段から売春婦を利用しているケースも多く、児童に特別の性的関心を持っているわけではないとされ、常習的に売春を利用することによって、児童にたいし性的に搾取するようになっていくとも指摘されています。

児童の商業的性搾取を、無垢と堕落、または善と悪の出会いの場として簡単にとらえてしまうと、搾取に伴う最も痛ましい現実を無視し、消し去るだけでなく、機能せず、効果のない解決策を導くのがせいぜいであり、ひどい場合には新たな人権侵害に貢献してしまう危険が生じます。

児童は社会の中で最も弱いグループだと考えられていますが、すべての児童が皆同様な状況に置かれているというわけではありません。
「児童」とひとことでいっても、嬰児から18歳まで、身体的、精神的、知識、社会性などに大きな違いがあります。
児童にもさまざまな境遇があります。

どちらにせよ、児童がいったん性的搾取を受けたとなると、心身へのダメージは、深刻で、本人の人生のほとんどを決定してしまうほど、回復の困難な、不可逆の破綻が待っています。

T h e J a p a n W e l f a r e T i m e s


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