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第一面 i n d e x > 家庭・暮らし・教育 > 中絶する権利
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中絶する権利



レイプやドメスティック・バイオレンスのように、女性は合意に基づかない性行為によって望まない妊娠もある。また合意の有無にかかわらず、女性は性行為によって妊娠する可能性をもつ、生物学的性差の特性であり、女性だけがもつ特別なものである。
中絶がもたらす、女性の心身や社会的、人間関係面へのダメージ、たとえ合意に基づいた性行為によるものであっても女性が望まないものもある。

そもそも、
「女性解放運動」あるいは「フェミニズム運動」のなかで叫ばれたのはなにか。
「中絶とは、なにか?」
「目的は?」
「実際には、なにが行われているのか?」
「誰が、中絶を決定し、行うのか?」
「プライバシーへの問題提起」
といった問いかけだった。
また、障害者団体の側からも「優生保護」に対するところの「劣生抹殺」であるとして、「この世に生きる権利の平等」あるいは「優生・劣生」を決定する価値基準が、健常者、ひいては「国家」にあるとして、問題を提起した。

●歴史的背景

『国民優生法施行規則』では、明記されている。
官立病院ノ長、道府県立病院ノ長、地方長官ノ指定スル医師によって命令され、
「精管切除結紮法」「精管切離変泣法」「卵管圧挫結紮法」「卵管間質部楔状切除法」「卵管全剔除法」
という、もはや中絶というよりは「断種手術」が、おこなわれた。
対象者は以下のかたがた。
一 遺伝性精神病
 精神分裂病
 躁鬱病
 真性癲癇
二 遺伝性精神薄弱
 精神薄弱(白痴、痴愚、魯鈍)
三 遺伝性病的性格
 分裂病質
 循環病質
 癲癇病質
四 遺伝性身体疾患
 遺伝性進行性舞踏病
 遺伝性脊髄性運動失調症
 遺伝性小脳性運動失調症
 筋萎縮性側索硬化症
 脊髄性進行性筋萎縮症
 神経性進行性筋萎縮症
 進行性筋性筋栄養障碍症
 筋緊張病
 筋痙攣性癲癇
 遺伝性震顫症
 家族性小児四肢麻痺
 痙攣性脊髄麻痺
 強直性筋萎縮症
 先天性筋緊張消失症
 先天性軟骨発育障碍
 多発性軟骨性外骨腫
 白児
 魚鱗癬
 多発性軟性神経繊維腫
 結節性硬化症
 色素性乾皮症
 先天性表皮水疱症
 先天性ポルフイリン尿症
 先天性手掌足蹠角化症
 遺伝性視神経萎縮
 網膜色素変性
 黄斑部変性
 網膜膠腫
 先天性白内障
 全色盲
 牛眼
 黒内障性白痴
 先天性眼球震盪
 青色鞏膜
 先天性聾
 遺伝性難聴
 血友病
五 遺伝性畸形
 裂手、裂足
 指趾部分的肥大症
 顔面披裂
 先天性無眼球症
 嚢性脊髄披裂
 先天性骨缺損症
 先天性四肢缺損症
 小頭症

『優生保護法』においても、やはり明記されている。
一 遺伝性精神病
  精神分裂病
  そううつ病
  てんかん
 二 遺伝性精神薄弱
 三 顕著な遺伝性精神病質
  顕著な性欲異常
  顕著な犯罪傾向
 四 顕著な遺伝性身体疾患
  ハンチントン氏舞踏病
  遺伝性脊髄性運動失調症
  遺伝性小脳性運動失調症
  神経性進行性筋い縮症
  進行性筋性筋栄養障がい症
  筋緊張症
  先天性筋緊張消失症
  先天性軟骨発育障がい
  白児
  魚りんせん
  多発性軟性神経繊維しゆ
  結節性硬化症
  先天性表皮水ほう症
  先天性ポルフイリン尿症
  先天性手掌足しよ角化症
  遺伝性視神経い縮
  網膜色素変性
  全色盲
  先天性眼球震とう
  青色きよう膜
  遺伝性の難聴又はつんぼ
  血友病
 五 強度な遺伝性奇型
  裂手、裂足
  先天性骨欠損症

『国民優生法』
『国民優生法施行規則』
『国民優生法施行令』
『優生保護法』
『母体保護法』

「障害者/児童」、特に「遺伝性の疾病や障害」にたいし、国家の名のもとに「中絶(断種)」を肯定してきた歴史がある。
これらの法律改正は、「健常者」「男性」の側からではなく、「障害者」「女性」の側から強く叫ばれ、現行法へと導かれた。
『母体保護法』であっても「差別的」「国家的生殖の管理」「人間の尊厳への冒涜」であるという意見は多い。
生命の絶対的尊さとは無矛盾に、「産まない」選択、「中絶する権利」は、以上のような背景を確認したうえで語られている。

●宗教者の「女性の権利」擁護団体や個人からの、「中絶反対」という主張も、確認されるべきである。

おきなうねりとしては、キリスト教正教会系、カソリック系のフェミニズム団体などによる「中絶反対」の論陣がある。
生命の誕生に、人間が恣意的に関与すべきではない、というもので、当然、授かった生命は「母親のもの」ではなく、「神のもの」である、という立場。
生命の絶対的尊さ、不可触な実存の絶対さと、「女性の権利の向上」は無矛盾であるとするもの。
●「女性の権利」としての中絶という考え方

社会的性差への反省、ジェンダーという言葉が浸透するなか、やはり依然として「男性と女性」の性別による社会的役割分担への、無反省、無批判な踏襲はつづいているといえる。
「あなたつくるひと。わたし食べるひと」といったCMが問題視され、国会でとりあげられたが、数十年を経た現在でも、家庭内における家事の分担や負担、あるいは「男性は働き,女性は家を守るものだ」という考え方は,男性のみならず、女性の側からも継続的に受け入れられているのが現状だ。
確かに、「家事」は近年、男性が「手伝う」という家庭も増えてはきている。だが、「女性が、当然のことのように、担わされていたすべての家事」を、病気や独身といった事情ではなく、家族をもつ者として、はたしてどれほど「男性」はひきうける覚悟があるだろうか。
しかし、そうした「代替」だきく、家事労働ではなく「妊娠」「出産」「育児」「教育」、そのなかでも特に「妊娠」「出産」といった、深く女性がだけ関わってきた、「女性だけがなしうるおこない」にたいして、様々な角度から、語られようとしている。

●差別の対象としての「妊娠」「出産」「育児」

労働し、あるいは生存し、男性と同等の権利で社会参加する女性が、「妊娠」「出産」によって差別の対象になることはあってはならない。肉体的、精神的に「妊娠」「出産」は、女性に大きな影響を与える。

●すべての妊娠が望まれたものとは限らない。

避妊の失敗。
レイプ。
さまざまな事情による望まない妊娠。

「望まない妊娠」への対応の選択肢のなかに「中絶」が含まれる。

●日本の刑法による「堕胎罪」規定

妊娠中の女性自身や、女性から嘱託を受け、承諾を得て医師や一般人が堕胎することが禁止されている。
一方では、「母体保護法」により、
身体的理由
経済的理由
強姦による妊娠
などの理由があれば、医師は、配偶者の同意を得て中絶できるとの規定があり、事実上「堕胎罪」が免責されている。
「母体保護法」を根拠としないかたちでの「中絶」は、できないかたちになっている。

身体的理由による妊娠の困難
経済的理由による妊娠の困難
強姦による妊娠の困難
は、現在もあることは事実。

しかし、ひるがえって、「中絶の自由」「中絶の自己管理」「中絶の自己決定権」という立場から、みつめなおすと、女性は自由に中絶を行えなくなり、「堕胎罪」という罪悪感をたえず負わなくてはいけないことにもなり、また、無資格者や「やみ」での中絶手術のまんえんを招くというしてきもある。
安全な中絶が行えなくなる。
「女性の権利」か「胎児の生きる権利」か アメリカの論争

●プロライフ

おもにアメリカにおける、生命を尊重する立場のことをいい、中絶反対派。人工妊娠中絶を受ける事によって胎児は殺害され死亡してしまう重大な犠牲を伴うため「胎児の生命」を優先する。プロライフの立場では、女性が選択する権利は、性行為をしたときにすでに行使されたのであり、いのちは無条件で尊く、赤ちゃんを殺す権利はないと主張される。中絶は、胎児の生命を故意に奪うものであり、どのような状況であっても、強姦や、近親相姦、民族浄化、遺伝的疾患が証明されているものであっても、一切の例外なく、認められない。女性の仕事や社会や家庭での役割は中絶とは無関係で、重きを置くべきは子どもに生きる権利があることだと考える。

●プロチョイス(プロライト)
人工妊娠中絶の権利擁護派。中絶を支持。「胎児の生命」にたいし「母体の選択権」を優先する。女性の「生む権利」を重視。妊娠は、女性に身体的、経済的に負担を負わせる。負担には個人差があるものの、過度の肉体的精神的負担を負う妊娠や、社会的負荷、強姦等による望まない妊娠を回避するための手段として、女性に中絶の権利を与えるべきだと考える。個人の身体や精神、経済、社会的役割などに密接に関わることは、一部の思想や宗教によって規制すべきことがらではなく、個人によって捉え方が違うからこそ、広く選択肢を用意しておく必要があるとする。

※アメリカ国民にとって,中絶に賛成か反対かは重要な選択となる。知事選挙や大統領選挙の争点となる 問題である。1973年中絶が合法化された。女性が中絶するかしないかの決定をする権利は、「自己決定権から構成される広義のプライバシー権」が深く関与している。医学的知識に照らし、妊娠初期3ヶ月までは州により規制できないと示された。その後も、中絶のプライバシー権が争われたが、憲法上の権利にはならないとされた。アメリカ国民の多数は中絶の権利を支持しているともいわれる。

●生命倫理

生命倫理の視点からも、中絶の正当性の根拠に関する研究が行われている。
女性が「自分の身体内で起こることや身体に対して行なわれることを決定する権利」への表明でもある。
「平等権としての中絶」として、「胎児の権利」「女性と胎児それぞれの人間の生命の本来的価値」を女性的なものの価値という視点から、論議されている。

「中絶に関する女性の権利」というとき、当然「生命倫理学とフェミニズム」の議論がなされ、「女性が持つ権利や価値」と「胎児が持つ権利(胎児の生命権)や価値」が、問題として提起されてきた。
また「人間・生命・倫理」「道徳的問題」としての中絶論議も盛んに行われている。


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