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第一面 i n d e x > 災害・犯罪被害 > カルト宗教被害
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『カルト宗教被害』



宗教被害は深刻である。現代人はそもそも多かれ少なかれ「心の救済」を求めているので、だれもの前に「宗教」は直接その要求に合致されるものとしてあらわれる。当人の「心の救済」に対して、「家族」「資産」「社会的地位/役割」など、それまで大切に育んできたものが根こそぎ破壊される。「心の救済」はそうしたものを手放すことで得られる、と主張している。カルト宗教団体は、組織として、教理を完成させているので、個々人が抱えている心の問題、特に「家族関係に悩んでいる場合」「資産問題に悩んでいる場合」「社会的地位/役割に悩んでいる場合」「健康のことで悩んでいる場合」「恋愛に悩んでいる場合」「不幸」「救済」「安楽」など、「心」の問題に対しては、容赦なく標的とされる。
霊感商法、霊視商法、など消費者問題とも重なるが、一見宗教のように見えない類似のもの、占い団体、自己啓発セミナー、健康食品やサプリメント販売にともなう事件の中にも、精神抑圧的に意思決定を迫るものがあり、背後にカルト宗教団体が関与している場合も多い。
宗派も様々で、キリスト教系、仏教系、神道系、イスラム教系、あるいは独自の神憑かりやシャーマニズムなど、ありとあらゆる宗教がある。また、次々と名前を変えていたり、宗教法人をもっていたりもっていない団体もある。なにを「カルト」とし、なにを「非カルト」とするか線引きは難しく、ある国では巨大な組織を有して国政にまで関与しているほどの力をもっていながら、他国からは「危険なカルト宗教」と名指しされている場合もある。歴史を見れば多くの宗教は初期に弾圧され、殉教者も出した。それを引き合いにだし自らの正当性を主張し「宗教弾圧」と叫ぶのもまた「カルト宗教」の特徴でもある。
カルト宗教被害が問題になる度に、「なぜ、あんな宗教にダマされたのか」「インチキが見破られなかったのか」と首をかしげる人々は多いが、情緒的にも、知的にも、力としても、個人は全くといっていいほど歯が立たない、というカルト宗教の本質と、副次的に、社会から見捨てられ孤立する状況の中で、被害者はさらにその深刻さを増していく。そもそも思想・信教の自由は憲法で保証されている法治国家にあって、宗教そのものが、「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」と定義されていることからして、問題の解決の困難さを示している。究極、本人が「家族」「資産」「社会的地位/役割」など一切を失って、端からみても「ダマされている」としか思えず、本人もまた苦しんでいながらも「心の救済」が得られたならばいいのだ、と思えば、何人たりとも彼を「カルト宗教被害者」と位置付けることはできない。そうしたマインドコントロールの恐怖をも、カルト宗教被害は抱えている。「家族」「資産」「社会的地位/役割」では得られなかった安寧が、いまこうして得られたのだから、と。
逆に、宗教を厳密に定義することは「宗教でないものは信教の自由の対象にならない」という排他的判断につながっていく可能性もあり、憲法に抵触するどころか、人間の叡智、歴史、「観念」そのものを無化する可能性があることに注意する必要がある、ともいえる。「イワシの頭も信心から」といい、「このイワシは100万円です。あなたの過去世の縁を切りなさい」といわれて、何と応えるのか。イワシが水晶になり、過去世の縁がガンからの奇蹟の復活になり、100万円が 1万円なら、そして親身になって話しを聞いてくれる人生ではじめての恋人からいわれたら。
「いのち」が一番大切だと言われているが、カルト宗教被害のなかには、その信仰のために「いのち」を投げ出す人もいる。大切な何かを守ろうとして生きている人の前に、それを捨て去ることの素晴らしさを、「いのち」を捨てる覚悟者が告げるとき、人は無力である。
「カルト宗教被害者」の救済のために活動している人々は多い。
「危ない」と危険を直感したら、そうした人々や弁護士会に相談すること。

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