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第一面 i n d e x > しょうがい者支援 > パラリンピック
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『パラリンピック』


パラリンピックは、しょうがい者スポーツの最も有名な国際競技

パラリンピックは、現在では4年に1度、オリンピック終了後に同開催都市で行われる。
1960年の1回大会のローマに始まった。
前身は、イギリスのストーク・マンデビル病院。ひとりのユダヤ人医師によって、戦争によって負傷した兵士や脊髄損傷などの患者のため治療に、スポーツが有効であるということが着目され、車いすによるスポーツ競技を治療に取り入れたことを契機としてスタートした。
1948年、ロンドン・オリンピックの開会式の日に、病院内でスポーツ大会を開催。
後に、国際ストーク・マンデビル大会へとつながっていく。
徐々に他の身体しょうがい者も加わるようになり、1988年のソウル大会からは「パラリンピックス」として公式な名称が使用され、翌年の1989年に国際パラリンピック委員会(IPC)が設立された。
しょうがいのある選手による、今日の世界最高峰の競技大会へと発展していった。
1976年には、スウェーデンで第1回冬季大会が開催された。
パラリンピックスに出場するためには、大会で定められた標準記録を突破し、世界ランキングの上位に入り、世界選手権大会、地域選手権大会、などで入賞するなどして出場権を獲得する、厳しい条件のクリアが要求されている。
国内の競技団体にも選考されなければならない。
世界のトップアスリートだけが出場できる国際競技大会。
ドーピングの問題にも取りくみ、健全な運営をめざしている。が、オリンピックの場合と異なり、違法な筋力機能の向上のためのものではなく、身体のしょうがいや内臓の機能維持のための、必要不可欠な薬品である場合も多く、排除には困難な要素を含んでいる。
今後、生理学、心理学、生体力学、パフォーマンス分析、栄養とスポーツ技術などあらゆる面で、しょうがい者スポーツは進展していくであろう。

パラリンピックは、国際的マルチスポーツイベント

対麻痺、四肢麻痺、筋ジストロフィー、ポリオ後症候群、二分脊椎、手足欠損(切断または肢異常など)、脚の長さの差、低身長、高血圧症、運動失調、アテトーゼ、視力しょうがい、知的しょうがい。
パラリンピックは、英国の小さな集まりから成長し、最大の国際スポーツイベントの一つになりつつあるが、オリンピックの出場選手とのあいだには、大きな資金調達のギャップがある。
パラリンピックと並行して、IOCは、「知的障がい者」を対象とした「スペシャルオリンピックス世界大会」を、「聴覚障がい者」アスリートを対象とした「デフリンピック」を開催している。
1988年 − 1994年1994年 − 2004年2004年以降
パラリンピックのシンボル「パラリンピックロゴ」は、「心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)」を赤、青、緑の三色であらわしている。
1988年のソウルパラリンピックで初めて発表された。
初代の「パラリンピックロゴ」は、オリンピックカラーである青・黄・黒・緑・赤の五色と、太極を表したマークで構成されていた。
つぎに発表された「パラリンピックロゴ」は、1994年のリレハンメルパラリンピック。
「人間の最も大切な3つの構成要素」である『心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)』の赤・青・緑の三色へと変更された。
現在の「パラリンピックロゴ」は、2004年のアテネパラリンピック。
「パラリンピック選手が卓越した競技者の域に到達し、世界中を興奮・鼓舞させることができるように」という国際パラリンピック委員会(IPC)の新しいビジョンを象徴している。
「地球を表現したロゴ全体の丸い形状」は、パラリンピックムーブメントの象徴となっている。
2008年の北京大会では、シンボルの形・色は同じであるが、3色の意味を中国式に「赤を天」「青を地」「緑を人」とした。

「パラリンピック」の図形の意味

「Spirit in Motion」
パラリンピックのシンボルは、最も広くつかわれている世界の国旗で表現色である赤、青、緑の3色を、含んでいる。
「色」「形状」は、それぞれ「アギト(Agito)」(「私は移動する」「私は動く」という意味のラテン語)とよばれる。
パラリンピック運動のために設計された「非対称の三日月」に付けられた名前である。
3つの「アギト」は、世界中のすべての点から集まった、アスリートのためのシンボル。
中心点を、一周する。
「IPC」のモットーとシンボルは、2003年に現在のバージョンに変更された。
「競争の精神を持ち」「組織としてIPCがその可能性を実現し」「それを達成するために前進している」という考えを伝えることを意図した。
「IPC」のビジョンは「スポーツの卓越性を達成するために、パラリンピック選手を有効にするには、世界を鼓舞し、励起する。」である
パラリンピックの大会歌は「賛歌ドゥアベニール」「未来の国歌」。
1996年3月に正式な大会歌として採用された。

「パラリンピック」という名前

名前はもともと「対麻痺」「半身不随」(paraplegic:脊髄の損傷を持つ人々)と、「オリンピック」を組み合わせるかたちで作られたものだった。
が、ほかの障がい者のグループを含める、広い定義が求められた。
こんにちの正式な説明は、ギリシャ語の前置詞「παρά」から派生している、「パラ(「横に」または「並んで」)」とし、「オリンピック」にたいして並行して開催されたコンテストを指す、という意味になっている。
1988年の夏季オリンピック開催ソウルで、「パラリンピック」は公式に使用された。


パラリンピックの開催地


<夏季競技大会>
1回 1960年 ローマ
2回 1964年 東京
3回 1968年 テルアビブ
4回 1972年 ハイデルベルグ
5回 1976年 トロント
6回 1980年 アーヘン
7回 1984年 ニューヨーク アイレスベリー
8回 1988年 ソウル
9回 1992年 バルセロナ
10回 1996年 アトランタ
11回 2000年  シドニー
12回 2004年 アテネ
13回 2008年 北京
14回 2012年 ロンドン
15回 2016年 リオデジャネイロ
16回 2020年 東京

<冬季競技大会>
1回 1976年 エーンシェルドスピーク
2回 1980年 ヤイロ
3回 1984年 インスブルック
4回 1988年 インスブルック
5回 1992年 アルベールビル
6回 1994年 リレハンメル
7回 1998年 長野
8回 2002年 ソルトレークシティ
9回 2006年 トリノ
10回 2010年 バンクーバー
11回 2014年 ソチ
12回 2018年 平昌
13回 2022年 北京

パラリンピックの競技種目


<夏季競技(20競技+1)>
・陸上競技
・水泳
・車いすテニス
・ボッチャ
・卓球
・柔道
・セーリング
・パワーリフティング
・射撃
・自転車競技
・アーチェリー
・馬術
・ゴールボール
・車いすフェンシング
・車椅子バスケットボール
・視覚しょうがい者5人制サッカー
・脳性麻痺者7人制サッカー
・ウィルチェアーラグビー
・シッティングバレーボール
・ボート
(公開競技)電動車椅子サッカー

<冬季競技(5競技)>
・アルペンスキー
・アイススレッジホッケー
・車いすカーリング
・クロスカントリースキー
・バイアスロン


パラリンピック(Paralympic Games)は、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、略称:IPC)が主催。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年のアテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。
マイルストーン

パラリンピック運動のいくつかの節目があった。
最初の公式パラリンピックは、ローマで開催された1960年。23カ国から400選手が参加、競いあった。
1960年以来、パラリンピックはオリンピックと同じ年に行われている。
それまで車椅子利用者の選手のみであった競技種目から、1976年夏季ソウルパラリンピック大会より、異なるしょうがいを持つ選手による競技が加わった。1976年の夏季パラリンピックは41カ国から1346選手に拡大した。
夏季オリンピックと同じホスト都市、同じ施設を利用し、直後に開催された。
以降、先例にならうようになった。


冬季大会

最初の冬季パラリンピックは、1976年にエルンシェルツビク(スウェーデン)で開催された。
しょうがいを持つ選手の複数のカテゴリが競争する可能性があった最初のパラリンピックだった。
冬季パラリンピックは、夏季パラリンピックと夏季オリンピックと同じように、カウンターパートとして同じ年に、四年ごとに開催された。
この伝統は、1992年第5回大会、アルベールビル(フランス)までまもられた。
1994年第6回のリレハンメル(ノルウェー)大会より、冬季パラリンピックと冬季オリンピックは、夏季大会の中間の偶数番目の年に開催されている。


パラリンピックのパワー

パラリンピックゲームは、理念として、参加者の運動の成果ではなく、「むしろ障がいを強調するために設計された」ともいわれる。
ゲームは単なる「能力」ではなく、障がい者について力づけとなるものであることを強調してきた。
このムーブメントは確実に浸透し、支持された。
夏のパラリンピックゲームに参加する選手の数は、1960年にローマで400選手から、増加し、2012年のロンドン大会では164カ国から4300人以上の選手が参加した。
2014年のソチ冬季大会では、45カ国から540人以上が参加した。
パラリンピック夏季と冬季大会が、世界の舞台で認識された。
パラリンピックは、もはや英国の退役軍人のためか、単に車椅子の選手、のためではなくなっている。
世界中から集まったのは、障がい者ある多種多様なエリートアスリートばかりではなく、彼らによって引き寄せられた、パワーや希望や可能を求める人々にも保持され、大会をもりあげている。
パラリンピックは、パラリンピックにしかない特別なものを人々にあたえ、また、多くの障がい者の可能性をおしあげている。
パラリンピックをみていた若者が、みずからを癒し、力づけ、周囲の者もひきつけ、つぎのパラリンピックゲームに参加するサイクルを構築している。
スポーツによって生きる力を獲得した選手たちの多くは、パラリンピックの舞台を必要としている。

国際パラリンピック委員会の歴史

1964-1989
「しょうがいを持つ人々のための運動の機会の発展」に特化した最初の組織された「しょうがい者のための国際スポーツ組織(the International Sports Organization for the Disabled:ISOD)」は、1964年に設立された。
組織は、オリンピックと「IOC」との関係にあったようなものを、しょうがい者スポーツへと反映、移植させる運営団体であることを意図した。
一方、国連では、1971年「精神薄弱者の権利宣言」
1975年「障害者の権利宣言」を採択。
これらにつづくものとして、2つの「宣言」を単なる理念としてではなく、社会において実現するという意図のもとに決議されたのが、「国際障害者年」が国際連合が指定した国際年の一つで、1981年を指す。
この流れを受け、最終的に、しょうがいを持つ選手の権利を擁護する使命を帯びた1982年「障害者のための世界のスポーツ団体の国際調整委員会(the International Coordinating Committee of World Sports Organizations for the Disabled:ICC)」に設立された。
「ICC」とソウルのソウルパラリンピックをもたらした「IOC」とのあいだの協調的努力の成功の後、「ICC」は拡大し、しょうがい者のスポーツプログラムを持つすべての国からの代表者の参加をもとめることを決定した。
「ICC」はまた、パラリンピック管理機関の決定に選手を含めるすることが必要であると認めた。
1989年、このボディは「国際パラリンピック委員会(the International Paralympic Committee:IPC)」として再編された。

IPC 1989年

「IPC」は、パラリンピック運動の世界的な統治機関。
176カ国からなる。
国立パラリンピック委員会(NPC)と4つのしょうがい固有の国際スポーツ連盟。
「IPC」の国際本部は、ボン(ドイツ)にある。
「IPC」は、夏と冬のパラリンピックを統括する。
また、以下の9つもの、スポーツのための国際連盟として機能している。
「パラリンピック陸上競技」
「パラリンピック水泳」
「パラリンピック射撃」
「パラリンピックのパワーリフティング」
「パラリンピックのアルペンスキー」
「パラリンピックのバイアスロン」
「パラリンピックのクロスカントリースキー」
「アイススレッジホッケー」
「車いすダンススポーツ」
それぞれについて、世界選手権や他の競技を監督し、調整している。
「IPC」には「国際パラリンピック委員会(National Paralympic Committees:NPC)」と国際スポーツ連盟がふくまれている。
国際競技連盟は、独立したスポーツ連盟で、パラリンピックスポーツの唯一の代表として「IPC」によって認められている。
国際競技連盟は、パラリンピック大会期間中、それぞれのスポーツの競技やトレーニング会場などを管轄しする。
「IPC」はまた、パラリンピック憲章により、メディアパートナー、職員を認定し、裁判官、および細則施行する責任がある。
「IPC」は、国際オリンピック委員会(IOC)と、独立しつつ、また緊密なる協力関係がある。
2001年には国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)は、「ホスト都市がオリンピックとパラリンピックの両方を管理する」という契約を締結した。

クラス分け

パラリンピックには、「クラス分け」の問題がある。
それぞれの競技種目は、選手が、同一レベルの身体能力(障がいの種類、部位、程度)同士で競い合えるよう、クラス分けが行われている。
障がい者による、スポーツの能力を競う大会であるので、障がい者の種類、部位、程度をそれぞれどのように解釈し、整合性を持たせ、クラス分けをするか、課題となっている。
パラリンピックの、本来の精神からすれば、クラスを細かく分け、障がいの種類、部位、程度の近しい選手たちだけを競わせるのが、望まれるありかたといえるかもしれない。
障がい者にとっての障がいが「個性」とよばれるように、障がいの種類、部位、程度が、重なるということが難しいというパラドックスもある。
クラス分けを細かくすると、それだけメダルの数も増える。
複数個獲得する競技者も多い。
「オリンピック」とくらべ、「メダルの価値がさがる」という意見もでる。
かつては「障がい者の社会復帰」「障がい者のリハビリテーション」として発祥したパラリンピックが、いま「障がい者のスポーツエリートをポジティブに演出する場」へと移行していることも、こうしたパラリンピックのジレンマを後押ししているともいえる。
しょうがいの度合いによってポイントが加算されるというルールが採用された。
現在「聴覚しょうがい者」「精神しょうがい者」の出場競技はない。
「オリンピック」「パラリンピック」の共同開催

パラリンピック選手のおおくが、オリンピックで競うための平等な機会を求めてきた。
実際に、参加した前例もある。
1984年夏季オリンピックロサンゼルスで、パラリンピックの射手競技者がニュージーランド代表として史上初めて出場した、ネロリ・フェアホール選手。
2008年には、オスカー・ピストリウス選手。かれは南アフリカのスプリンターで、2枚のカーボン繊維のブレードを失われた両方のひざの下に固定し走った。
400メートルで、パラリンピック世界記録を保持している。
北京オリンピックに400mで出場を目指していたが、かなわず、国際陸上競技連盟(IAAF)に対し、「義足の不当な優位性」について法的に争い、勝った。
2008年9月、北京パラリンピックにて100m、200m、400mに出場、金メダル三冠を達成。
南アフリカ・オリンピック委員会は2012年7月4日、ロンドンオリンピック陸上男子400mおよび男子4x400mリレーのメンバーにピストリウスを選出。個人種目の陸上男子400mでは、予選1組の2位で準決勝へ進出。しかし、準決勝2組で最下位(8位)に終わった。
また、しょうがいのない一部の選手も、パラリンピックで競う。
晴眼者のガイドとして伴奏者は、視覚しょうがいと一緒のチームとみなされる。
いわば両方の選手がメダル候補である。
これからも、垣根をこえた選手が多く出てくるであろうし、本来の理念にあるノーマライゼーションからすればむしろ、両者を分けていること自体が問われる。
「オリンピック」「パラリンピック」の一本化。
「オリンピック」「パラリンピック」の共同開催が実現する日がくるだろう。


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